83.『二月の勝者』の結末を勝手に想像して、勝手にそこから見えてくるものについて考える

わたしは漫画『二月の勝者』が嫌いである。



 

 

まずは作品概要。

中堅の中学受験塾桜花ゼミナールに、最大手塾フェニックスから転職してきた黒木。新人塾講師の佐倉は黒木の強引なやり方、不遜な態度に反発を感じながらも、黒木の見事な手腕に影響を受けていく。

中学受験を取り巻く塾と受験のリアルな実情、受験に翻弄される親、こども、塾講師の人間ドラマなど、様々な魅力のある作品である。

 

一読してのわたしの感想としては「大人が怖い顔をしてトンチンカンなことを言いまくり、それにこどもが巻き込まれてあらあら大変」というものであった。

……のだが、どうも世間の評判とはズレがあるので戸惑っている。

 

わたしの感想をもう少し丁寧に書くと以下のようになる。

実情として就職時の学歴差別があり、

実情として高校受験の不平等さがあり、

実情として中学受験の狂気がある。

この不条理が『実情として』存在することについての苦味や、それを許してしまっている大人側の問題に巻き込まれているこどもについて描かれた作品だとわたしは思っているのだ。

しかし世間の評判では

「ウチだけじゃないんだな、と思って安心した。ウチも受験頑張ろう」

「受験あるあるで笑った!」

「リアルすぎてホラーみたい! でも面白い」

というものなのだ。

 

え? 

戦争漫画読んで

「ウチだけじゃないんだなと思って安心した。ウチも戦争頑張ろう」とか

「部隊あるあるで笑った!」とか言う?

 

とは言え、2021年3月の段階で完結していない作品について、しかもその作品の他人の感想について文句を言うのはちょっと相当にアレな行為だと思うのだ。

簡単にあげるだけで以下の問題がある。

 

①未完の作品に文句気味の感想を言う。

②他人の感想に文句を言う。

③未完の作品の他人の感想に文句を言う。

 

①はわたしの基準ではグレー。今の連載形式ではやむなしなところがあるが、完結したあとにも感想を言えばまぁオッケーかな。

 

②は黒。他人の感想についての感想って超下品だと思う。マナー違反以上、法律違反未満。

 

③はもうむちゃくちゃです。

知ってます。

わかってます。

でも、わたしはそれがやりたい!

 

というわけで、ここから発想を飛躍し『二月の勝者』のラストを想像する。ラストを想像した上で、それについてのわたしの感想と、世間の作品への今の受け止めを批判する、というやり方をここではしようと思う。

算数の問題で、立体図形の体積を求めるために、図形を延長しシンプルな形にし、最後に延長した部分の体積を引くヤツあるじゃないですか。

絵で言うとこんな感じの。

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その文筆版だと思っていただければと。

 

 

---二月の勝者ラスト予想---

受験が終わり、生徒と親の前で最後の授業をする黒木。

黒木は言う。

「受験で合格を手にした者が勝者なのではありません。受験という狂気を通して、あなたたちは必死で『子どもにとっての最良の選択』を考え続けた。子どももそれを応えて全力を尽くした。この濃密な体験で育まれた絆を得た者こそが、二月の勝者なのです」

 

と、まぁこうなると思うのだ。

将来どんな生活をしたいかとかを話し合うよりも、「とりあえず」「今は時間ないから間に合うように」「何になりたいかわからないから選択肢を広くできる道に」を繰り返し続けた先に黒木先生の上記のお言葉で物語はシメになります。

 

これものすごく残酷だと思うのですよ。

大人になった後だって

「とりあえず」と

「今は時間がないから間に合うように」はずーーーーっとついて回る。

なんなら間に合わせるために大切なものを切り捨ててしまったりもする。

こどもを一足先にそんな世界に引きずりこんで、それでいいのか? という疑問がわたしには捨てられない。

で、必死になって受験まで走り終えた後に前述の黒木先生の言葉を受けたらと思うと……

「むしろそれって最初に言って、折に触れて言って、『二月の勝者』から遠ざかる選択になりそうな時には説明して手助けするもんじゃないの?」

という感想になってしまうと思うのだ。

 

作劇上の都合が優先されてることはこの際置いておくとしても、『二月の勝者』を誤解させたままの状態で連載を続けた結果、影響を受けるこどもや親のことを考えると、どうしてもこの作品を好きになることはできない。

できないのだ。