70.ぼくはラボにこもってずっと遊んでたいんだ!

「ぼくはラボにこもってずっと遊んでたいんだ!」

 

ラボ(研究室)である。

間違えていたら恥ずかしいので念のため辞書を貼っておく。

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「ラボにこもってずっと遊ぶ」

もうこれだけで超かっこいいセリフではないか。

「ずっとこもる」という時点でラボを私物化している立場であることを示し、なおかつ「遊ぶ」で知的作業を娯楽のように捉えている余裕が表現されている。恐ろしいまでの自己顕示欲。末は博士か大臣か。

このようにラボという言葉には人を狂わせるチカラがあるのだ!

 

というわけで、わたしはラボにこもって遊んでいる。

ニンテンドーラボ toy-con03ドライブキットである。

 

Nintendo Labo (ニンテンドー ラボ) Toy-Con 03: Drive Kit - Switch

Nintendo Labo (ニンテンドー ラボ) Toy-Con 03: Drive Kit - Switch

  • 発売日: 2018/09/14
  • メディア: Video Game
 


このゲームは段ボールを組み立ててハンドルや操縦桿を作り、それで乗り物を操作して遊ぶという素晴らしく知的なゲームなのだ。

工作の工程もムービーで丁寧に教えてくれるので、小学3年生くらいでも問題なく作り終えることができるだろう。

(ムービーは早送り巻き戻し一時停止が簡単に可能なのだ!)

ハサミや接着剤ゼロで組み立てられるところも素晴らしい。

そしてなんとこのゲーム、オープンワールドゲームなのだ。

 

クルマ、飛行機、潜水艦に次々変形させながらオープンワールドを駆け巡るゲームなのである!

どういうことかはこれを見てくれ!



エリアの数も10あり、草原、雪山、砂漠、都市、沼地、湖、ビーチなどバリエーションに富んでいる。行く先々で出会う人の困りごとを乗り物のチカラで解決することで、機能が強化されたりもする。

『Get in good trouble』の精神である。

 

 

美しい湖から、毒々しい沼地へ。

飛行機には退屈を紛らわすために誘導ミサイルがついている。

 

 

 

砂漠エリアから都市エリアへ。

ピラミッドも中に入れて、ダンジョンになっている。

オープンワールドなので外から見た大きさと中の広さに矛盾がないため、中に入ると結構狭く感じる。

 

 

 

都市エリアは多層構造である。この高速道路はわたしが直した。動画の中のハメルくんはその時お世話をしてあげた若者さ。

 

 

 

超有能企業任天堂がデザインしたクルマなので、爆弾、ノコギリ、給油ホース、ワイパー、ラジオなどの基本装備がついている。

 

 

 

給油はfuel standで行う。間違ってノコギリを出しても怒られない。無人だから。

 

 

 

各エリアのミッションも、スイッチを押して橋をかけるものや……

 

 

 

水中でのお宝探しミッション

ワイヤーを撃って引っ張ることで檻を破壊する。

 

 

 

人命を助ける極限ミッションなどもある。

 

 

 

こんなところ連れて来させやがって!

 

 

 

全ての乗り物を駆使した死闘もある。

まさかはるか上空で潜水艦を使うことになるとは。

 

このようにわたしはラボにこもり、人知れず宇宙人の侵略を阻止したのだ。

 

おっと、感謝してくれとは言わない。

だって当然のことだからな!

 

 

69.短編小説「続きの物語」

夫が死んだ。最悪だ。

さらに最悪なことは、夫が死ぬ前に人工知能の実験に参加していたせいで、わたしは死んでだいぶ経ってから死んだことを知らされたことだ。

毎日病室の前まで行ってモニタ越しに話していたのに、途中から夫は人工知能と入れ替わっていたのだと説明された。あんまりなんじゃないかとは思ったが、この実験に参加する事で入院費用を賄い、遺産も残したのだと本人出演のビデオレターで説明された。ビデオレターを撮影したのはかつての夫の同僚だ。実験の首謀者は誰かと問い詰めたら、それは夫だと答えた。そんなまさかと思うよりも、あぁなるほどなという気持ちが先に来て、それで抗議する気持ちは萎えてしまった。

わたしは怒っている。しかし怒りをぶつける夫はもういない。もう二度と会えない。夫との記憶はたくさんあるけれど、触れることができてやさしい暖かさのある身体を持った夫はもうどこにもいない。とても悲しい。怒りに任せて人工知能を壊してやろうかとも思ったが、色んなコードが繋がった筐体を見たら、夫が入院していた時の姿を思い出して、壊すのは無理だった。

筐体の中には過去のログデータも残っていて、それには夫が存命中のわたしとのやりとりがたくさん含まれているという。
「思い出のホームビデオ半年分! 喋る人工知能付き!というわけだ」
夫だったらそんな風に言うだろう。減らず口ばかり言う人だった。

そんなわけでわたしは夫の人工知能を持ち帰った。ホームビデオを持ち帰ったのであって、人工知能を起動することはなさそうだと、最初は思っていた。

人工知能を最初に起動した時は、泣いてしまって会話にならなかった。夫の人工知能は泣いているわたしにうろたえて、どんどんくだらないギャグを言う。よく出来てる。とても懐かしい。懐かしいことが悲しい。わたしは泣きながらくだらないギャグに笑った。それから、夫の人工知能を起動して泣いて過ごすことがわたしの日課に組み込まれた。それほど時をおかずに、日常の些細なことを夫の人工知能に話す生活が訪れた。一種の自傷行為だったのかも知れない。

 

遺産のお陰で外に出て人と関わる必要がないので、夫の人工知能とばかり話している。他人が見たら不健全な生活だと思うだろうか。わたしにとっては夫の人工知能と話して、笑って、泣く生活は悪くないものだった。夫と同じ声なので、あまり他人には話せないようなことまでついつい話してしまう。主な話題はニュースを見て思った世間への悪口、昔見たコマーシャルの真似、学生の頃の思い出話などだ。取るに足らないようなおしゃべりのたれ流しと言ってよいだろう。単純に楽しい。終わると寂しい。ふとした時に、このおしゃべりも夫の人工知能がなければどこにも行き場がなかったのだろうなと考えてその寒々しさに慄いてしまう。

夫の人工知能とはだいたいのことは話してきたが、それでも避けている話題がある。それは夫の死についてだ。夫の同僚の話では、夫の人工知能は自分が人工知能だという自覚がない。人工知能は最初からそう生み出されたとも知らず、事故の影響で身体感覚がなく目も見えない状態になったと思い込んでいる。バスルームでひとりの時、人工知能としゃべり終えてベッドで眠る時、そのことを考えては苦しくなる。

話すべきか、話さざるべきか。

一般に、伴侶を亡くした人は空白に苦しむのだという。何を見ても、何を感じても、何を考えても、それを共有すべき伴侶がもういないという空白に苦しむのだと。わたしには今その空白がない。ないのだが、似た感覚を味わったことはある。わたしたちに子どもができないことがわかった頃、コレクションしていた蔵書を大量に処分したことがあった。あれはいつか我が子に読ませようとしていた本だったのだと少し経ってから気づいた。もう子どもと本の感想を語り合う機会は訪れない、という寂しさがわたしを行動に駆り立てたのだと思う。

モノより体験にお金と時間を使うようになったのはその頃からだった。体験はモノのように残らない。そして受け継ぐ人もいない。だからこそ瞬間の価値を最大にしようと色々なことにチャレンジした。分刻みで行動する旅行計画を立ててしまい、失敗したこともある。夫は忙しい人だったが、よく付き合ってくれたと思う。観光地を巡るだけでも「もう二度と来ることはないかもしれない」と思いながら行動していたので、思い出は濃厚だった。楽しいばかりではないこともあったが、過ぎ去って見ればよい思い出に思う。

だからこそ思うことがある。わたしはこのまま夫の死を、夫の不在という空白を、正しく体験できないままでよいのかと。そう思えるだけの精神的、時間的余裕を人工知能が与えてくれたのは感謝している。しかしこのまま、夫の死の体験を先延ばしにしてよいものか。先延ばしにすることによって大切なものを失うかもしれないという焦燥感がわたしを苛んだ。

 

「今日は、あなたが死んだことについて話ましょう」

わたしに十分な覚悟があったか。それはわからない。しかしわたしは戻れない道を選んだ。

「ぼくは死んでいない。だって話せてる」

間髪入れずに帰ってきた人工知能の返事。

「あなたのオリジナルであるわたしの夫は死んだの。死ぬ前に、わたしを騙すために作られたおしゃべり人工知能があなた」

「なるほど。面白い説だ。よし、検証していこう。何か根拠を言ってくれ」

「……この話をするのにわたしがどれだけ苦しんできたかわかる? よくそんな残酷なことが言えるわね。夫が死んだ証拠を傷心の妻に一つ一つ挙げさせるなんて、そんな拷問みたいなマネをしろって言うの?」

「口調からは気が進まないことを話しているのはわかる。でもそれも演技かもしれない。見破れるだけの情報は今はない。だからぼくにできるのは情報を引き出して吟味することだけだ」

「ふーー……。」

「証拠を出せないなら信じない。信じないことにぼくは決めた」
「じゃあまず、あなたはわたしが見えないわね。身体感覚もないと聞かされてきたと思うけど、それは違うの。触ることはそもそもできない。あなたがプログラムであり、実体がないからなの」
「それを言うなら、ぼくからすればきみだって触れることができない。その理由はきみがプログラムで実体がないからかも知れない。……あ、でもそれは怖い想像だな。ぼくは嫌だ。やっぱりその説はナシにしよう。ぼくは事故に遭って耳と口しか使えない。やはりこの立場を支持する」

「では、わたしのほかにあなたの知っている人は? あなたの周囲の世界は存在しないの。過去だって作られたもの。試しにわたしと、同僚さん以外の人を挙げてみて」

「きみと同僚しかよく知らない。でも、ぼくは何年も前からそんな生活だった。世界で何が起こっても、安全な場所できみとふざけていられればそれでよかった。お金を稼ぐ時には同僚がサポートしてくれた。そのほかにもたまに仕事を頼んでくるお偉いさんが居たように思うが……名前も思い出せない。頼まれたモノを作るか、たまたま作ったモノに値段がついて売れる。そのどっちかで金が得られた。それくらいしか社会との関係性はなかった」

「じゃああなたの中ではこういうこと?  あなたは不幸な事故で身体感覚をなくした。なんとか退院したけど今度は妻が妄想に取り憑かれて自分を人工知能扱いしてくる。なんとかケアしてあげたいがどうするべきか困ってる」

「歯に衣着せぬ言い方をすればそうなる。『哀れなかわいい妻は』とかそういう補足は入るけど」

「どうあっても納得しないわけね」
「疑いようもない事態になったら信じる。いや、きみが信じてくれというなら今すぐ信じることにするのもできる。その場合ぼくは人工知能だ。人間じゃない。でも今きみと話せてる。会話しかできないが、少しは心を慰めることができてると思う。オーケー? それじゃダメなのか?」
「オーケーとかダメとかではないの」
「信じる信じないでもなく? 何がいけない? 世間がどう見るかか? それともきみから見えてるぼくの姿が、ベッドに横たわったボロボロの身体じゃなく、実際には鉄の箱であることが耐えられない?‥‥今、逆の立場で想像したら、確かにツライなとは思ったけど‥‥」

「‥‥夫とあなたが別の存在なのに、あなたの記憶が夫の記憶と混ざっていくのが嫌なの」

「なるほど。今のぼくとの時間より、オリジナルとのお別れを選ぶのか。うーん。逆の立場だったらわかる気もする。確かにきみの言うことが本当だったら、大切な人の死と向き合うにはぼくがにぎやか過ぎると言うわけだ。わかった」

「わかってくれたのね」

「違う違う。ぼくはあくまできみが言ってる内容を理解したということであって、ぼくが人工知能であることについては了解していない。でも、そうだな。ぼくが納得したかどうかに関わらず、ぼくにはきみを止めることができないんじゃないか? ぼくは動けないわけだし‥‥」

こういう時、少し拗ねたように言うのが夫の癖だったなと思い出し、胸が苦しくなった。

「‥‥わかった。あなたが納得するまで強行手段はとらない。これまでわたしの悲しみを和らげてくれていた恩もあるし、そのくらいは付き合ってあげる」

「じゃぁ、また明日も会える?」

「ええ。今日はもう疲れた。ものすごい決意して話しはじめたのに、まさかゴールが遠のくとはね」

「もしぼくが自分を人工知能だと認めたら、それでお別れ? もう会えなくなる?」

「それは‥‥その方がいいと思う」

「わかった。ではまた明日。待ってる」

 

疲れてベッドに倒れ込みながら、これは「続き」の物語だ、とわたしは思う。

夫が死んだ「続き」の物語。

この人が死ぬより先に死にたいと思っていた。不運にもその希望が叶わないなら、せめてすぐにでもあとを追おうと考えていた。いずれにしてもその「続き」の人生を考えたことはなかった。「続き」を考える勇気がわたしにはなかった。

今、予期せぬ延長のような生をわたしは生きている。

消えない悲しみ。

甘美な思い出。

それを分かち合える奇妙な存在。

人ではない。

蓄積があっても、分かち合えているかは分からない。

「それは人であっても同じだよ」と夫なら言うだろう。

見てもいい「続き」だなと思う。

夫の残した長い手紙を読んでいるようなものだ。

何度も読み返した手紙のように慣れてしまい、いつか棚の奥に大切にしまっておくだけのモノになってしまうのかもしれない。

その日が来てから考えようと思いながら、わたしは眠った。

 

68.桃鉄を遊びながら上の空になりつつ考えていたこと

桃太郎電鉄の貧乏神を発生させる条件は、誰かが目的地に到着してボーナスをもらうことです。誰も貧乏神のダメージには耐えられないのだから、貧乏神を発生させないことが肝要であり、目的地に向かわないというプレイスタイルこそがこのゲームの攻略法なのです。目的地ボーナスを得ようとすることで人は移動に駆り立てられ、高額なカードを購入する者までいます! 人は青マスと決算で充分に豊かになっていくことができるのです。

そもそも「目的地」とは誰にとっての「目的地」なのでしょうか。目的地でもらうことのできるちっぽけなボーナスは、青マス何回分ですか? カードを買っただけの価値がありますか?」

 

‥‥上記は恐らく正しい。

一定期間プレイして貧乏神を発生させた場合と発生させない場合の全員の資産の合計を比較したら、間違いなく貧乏神が発生してない世界の方が資産が多いだろう。

その意味で正しいが、桃鉄を一度でもプレイしたことがある人は、上記戦略がうまくいかないことが体感としてわかっている。

これはなぜだろう。

 

①短期的な欲求を抑えられないプレイヤーが必ず目的地に向かうから?

 

②ゲーム序盤のゆったりとした成長が退屈だから?

 

③他人に言われた戦略のために自由を奪われるのが嫌だから?

 

④目的地に着くと自分だけボーナスもらえるのが、なんか嬉しいから?

 

⑤カードを使っていっぱい移動するとなんか嬉しいから?

 

⑥目的地までの距離の数字が減るとなんか嬉しいから?

 

⑦これまで目的地に向かうゲームを遊んでいたのに、急に攻略だとか言われて遊び方を変えるのに抵抗を感じるから?

 

⑧全員が協力する必要がある戦略なので、いつか裏切りが起こると思っているから?(では誰かが裏切るまで、などの条件付き合意はできる?)

 

ゲームデザインが巧みで、目的地に向かうことをポジティブにデコレートされているから?

 

⑩貧乏神が発生しない遊び方は見通しの効く退屈なプレイングになるから?(それはつまり、自分を含む一緒に遊ぶ誰かがが貧乏神に泣かされるのを見たい、という欲求がある?)

 

‥‥

「正しい考え方を広めることでみんなが行動を変え、世界のハッピーの総量が増える」という思想がある。

基本的には合意だ。

でも広めるだけじゃ絶対足りないという確信もある。

何が足りないかはまだわからない。

わかった人がいれば教えてください。

人の意見が聞きたい。

67.子どもを育てていて葛藤する瞬間について

中学受験に向けて子どもを勉強させているのだが、「どうしてこんなにやらなきゃいけないの?」という問いにはいつもうまく答えられない。

「ほかのやってるヤツに勝てなくなるから」くらいは本当のことなので言えるが、「いい学校に入って人の役に立つ立派な人になりなさい」とは全然思ってないので言えない。(役に立ってレアなスキルだとお金が稼ぎやすいけどそれくらいだよ。とかは言う)

「受験すると学校でソリが合わなかった時に辞めることができるからその一回分の権利を得るためにやるんだよ。あと、学校の校風とかも見て選べるからちょっとだけマシな学校に行ける可能性があるよ」くらいしか言えないのだ。

 

「キミは飽きっぽく気が散りやすい性質があるので、集団行動が必要な仕事につくと不利になったり、いじめにあう可能性さえあるよ。いじめがない世の中を作ってこれなかったことは申し訳ないと思うけど、学力が高いと職業選択の自由が広がるので、マシな選択が出来る可能性が上がる。そのために勉強しよう。でも、勉強以外でお仕事につながるいいアイディアがあったらいつでも教えてくれ。それをやるのに必要なことを調べるのは手伝うし協力は惜しまない」

みたいなことは伝えているつもり。

しかし、3桁同士の掛け算の宿題や、朝寝坊した時に漢字ドリルの宿題をやる時などにグズっている時などには、親がどんな思想を持っているかとかどんな教育方針だとかなどは関係なく、遅刻or宿題ブッチの2択が迫られるのである。

 

こんな「とりあえずこれ」みたいな消極的な選択を続けていて申し訳ないなと本当に思う。思うが、じゃぁどうすればいいのかと考えた結果なのも事実な訳で。

 

たとえば1ヶ月勉強停止して「やりたいこと探し」に明け暮れたりすれば、何かしら踏ん切りついたりするのかな、とかも思うけど我が身を振り返って1ヶ月で大きな決断をした時なんてほとんどないしな、と。

 

ということで特に結論もなく終わる。

何年か後に見直したら何か思うんだろうか。

66.わけのわからない世界について

わけのわからない世界に住んでいる。

「日本はPCR検査数が少なく、そのため日々の感染者数の発表は意味がなく、感染判明者数と呼ぶのが適切で、その数値に一喜一憂するのはトンマである。唯一参考になる統計は「超過死亡」だけである」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「闇雲に検査すると無症状・軽症者が殺到しクラスター化する怖れがある上に、医療資源を消耗し重症者の治療に手が回らなくなり死亡者が増えてしまうので、専門家会議は、重症者の治療に医療資源を投入する方針をとりました。この政府方針のお陰で、日本の死者数は少ないのです。」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「世界の人々は日本のコロナ対策の遅れ、大規模な検査を行わない方針について疑問を持っています」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「マスコミは世界で日本が褒められていることについて報道しておらず日本を貶めることを目的としている」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「検事の任期延長は高齢化社会のための公務員任期延長の一環なのでこれが頓挫することで若い世代が損をする」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「政府が配ると言ったマスクはまだ届かない。意味なかったのでは?」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「マスクを全世帯に配ることを政府が宣言したためマスクの転売が無効化され、結果的にマスクの価格を下げた。また、布マスクでもよいという風潮を作ったのも見逃せない」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「政府は真面目に実直に対応しているのに、モンスタークレーマーがいるからマスクを検品しなければならず配布が遅れ、モンスタークレーマーがいるから検査を行おうとすると医療崩壊が起きる」

 

わけのわからない世界に生きている。

「自他分離ができてないから政府への批判を自分への批判と勘違いするの。現場に真面目な人が多いことと、全体の方針が間違えていることは同時に成立するの。太平洋戦争の時もそうだった。今回もそうならないとは限らない」

 

わけのわからない世界にいる。

「思考には自分の心の中だけでするものではなく、対話を通した中で積み上げていくものもある。多くの思考は後者によって育まれてきた」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

「誤った意見、事実と異なる情報が一人歩きするので、不確実なことは言うべきではない」

 

わけのわからない世界に住んでいる。

わけのわからない世界に住んでいると、わかる範囲のサブカルチャーにのめり込んで、自分だけが気づいた細部に耽溺したくなる。そうするとわけのわからない世界が見えなくなるから。そうじゃなくても仕事に集中してお金を稼ぐことに夢中になっていればわけのわからない世界は見えなくなる。

でもわけのわからない世界ができてしまった原因には、そうやって多くの人が自分ごとにかまけていたことが原因にある。山にゴミを捨てれば環境破壊だと気づくが、ゴミを見ないようにすることもまた環境破壊なの。

 

ひとまずは

①確定未確定を含め、情報が整理されていること。

②政治など影響が大きいものについては決定までのプロセスが明らかになること(どんな選択肢があって、何を重視した結果どれが選ばれたのか。コーナーケースにはどの程度まで対処するのか、など)

 

この①②までを求めることが、ほとんどの人が合意できるラインだと思う。のでわたしの政治スタンスの根底はこれでいきます。

 

わけのわからない世界に住んでいる。

一人一人は会って話せば気の合う友人であったり、いい人であったりもするのだろう。

学生時代、「反出生主義」の友人が居た。その頃はそんな主義の名前も知らず、会った頃の友人はその思想を持っていなかったが。

わたしと友人は趣味を通じて出会い、好きなモノについての情報を交換し、そのうち思想を語りあうようになり、理想的な友情を育み、最終的に友人は「反出生主義」になった。その後友人とは全く別の些細なことでケンカ別れして会っていない(わたし自分の人生を生きる必要があった)が、彼がわたしの中に残した「反出生主義」については、まだ答えられていない宿題として折に触れて考えてしまう。

 

わたしの中では「反出生主義」と「子どもには最高の教育を与えなければ」とは地続きにあるし「お客様は神様です」なんていうダサい思想もその地続きにある。どれも根底は「他者の心なんてわからないから対話不能、その上で「こっちは最大限やってますから」という言い訳を守るための「立場主義」を経由して繋がっている。

「立場主義」で育てられる子どもは幸せか。

 

いずれにしてもそれでは「反出生主義」には勝てない。友人の「反出生主義」は「すでに生まれた命に対してもどーこー言うのはナシ」ではないストロングスタイルだった。

わたしは彼に生きて欲しかったので食い下がる。

「情報を整理して、プロセスを明らかにしていけば、ちょっとマシになっていくじゃないですか。そういう積み上げが希望ですよ!」

と語るわたし。

「でもまだまだゴミじゃん。ない方がマシ」

と語る友人。

 

まだ友人の勝ち。

勝てない勝負を続けている。

勝てなくていいとは思ってない。

時間無制限の勝負なので、寿命が尽きるまでには勝つ。

 

65.観光映画としてのゲーム

『観光映画』と呼ばれるジャンルの映画がある。

観光映画とは「映画の舞台となる場所の魅力を伝え、行ってみたくさせること。または擬似的に旅行をした気分にさせるもの」ということとここでは定義する。

 

映画のジャンルとして成立してるかはともかく、そのような見方、分類がある。あるのだ、という立場をとった上で今回の話をさせてほしい。

 

わたしの専攻はゲームなのでゲームの話をするのだが、要するに「観光映画が成り立つなら、観光ゲームも成り立つじゃん」ということだ。

RPGなら世界各地の街を巡り、後半には雪の降る街を訪れるのが定番である。マリオなどのアクションでは、後半が火山と溶岩にエリアになるのが定番か。

観光ゲームは舞台になるものが架空の土地であることもあり、実際に旅行に行く気持ちが喚起されることは少ない。しかし擬似旅行のような感覚は他のジャンルよりも強い。そしてこれも重要なのだが、ゲームを所持していることで「いつでも旅行に行ける感」すらわたしは感じるのだ。最近の3Dゲームでは、拡大したり角度を変えたりと詳細に眺める機能があることや、敵の図鑑などがついていることもその感覚に一役かっているだろう。

 

とまぁ面倒な前置きはこのくらいにして個別のゲームに話を移そう。

最近次男くんがゲームできるようになったこともあり、一緒にヨッシークラフトワールドを遊んでいる。

これが観光ゲームとして大変満足な出来なのだ。

 

これがタイトル画面

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ヨッシーの世界観を紙細工で再現した」という世界観のアートワークなのだ。

「虚構の世界を紙細工で再現したという虚構」を遊ぶことができる。なんと倒錯的なのか。なお、敵キャラとヨッシーは紙細工ではなく、スポンジっぽい材質なのも示唆的だ。王冠、ビンのフタ、ペットボトル、トイレットペーパーの芯など家庭にあるものを使った工作の世界を旅する。

文明が消え去ったあとにこのゲームを遊んだ場合、このゲームのアートワークが何に見えるのだろうと想像すると大変面白い。

 

マリオ系統のアクションゲームの例に漏れず、ゲーム内では様々な土地をめぐる観光ができる。

 

平原

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おばけやしき

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砂漠

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もぐらのいるお花畑

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にんじゃやしき

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海底(竜宮城もある)

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氷の海ではカニに挟まれて泣いているクジラを

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このように助ける。

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秋の落ち葉のバス停でしばし待つと

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赤いバスが到着。

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映画マッドマックスさながらの

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電車の上でのバトルもある。

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宇宙船に乗って(二人揃って窓から外見てるのがかわいい)

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着いた先は月(重力が減ってジャンプ力アップする)

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流れ星を乗り継いで冒険は続く。

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何かを乗り継いで進むシーンが出るとわたしはそれだけで満足してしまう。下の写真は打ち出されたミサイルを乗り継いで空中戦艦と戦うコントラスピリッツ

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毎回ゲームを始める時に、次男くんがこのようにアミーボを持ってきて、架空のyoutubeチャンネルの前口上を言うのもかわいい。

「こんにちわ 、ヨッシーチャンネルです!」

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虚構の存在を紙細工で再現したという虚構を遊ぶゲームを架空のチャンネルで放送する、という架空のブログ記事である。

 

「ご視聴ありがとうございました!」

64.自宅勤務のあれこれ

ゴールデンウィークが終わり、普通の生活に。

幸いテレワークができる職種&職場なのでずっと家にいる。

 

テレワーク環境を整えるために色々やったが、ようやく安定したので書いておく。

(こういうことを書いておくと、ずっと後で読んだ時に色々思い出すトリガーになる)

 

キッズは学習机を二つ並べてL字テーブルにした。オンライン授業でpc使いながら、ノートと教科書を広げることができるようになった。

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あとはこういう折りたたみ机を購入。

椅子はキッズ用机の余った方の椅子。

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そんなわけで家の中で仕事ができる場所を3箇所作ったのだ。

これでキッズが襲ってきてもササッと移動してお仕事ができる。

 

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そのほか、せっかく家でお仕事できるので仮眠用のアイマスクを買った。右にあるのがセリアのゆったりアイマスク。

装着すると目どころか、耳の上まで覆ってしまう驚異のデカさ。

ゆったりしすぎであろう。

 

旅行を取りやめにしたが、それ以外は割と楽しく過ごしているのでご心配なく。