『進撃の巨人』漫画版が完結したので、結末について考えたことを書く。
ネタバレ100%なので、読みたくない人は戻っていただければと。
結末:
エレンの地鳴らしによりパラディ島の外は巨人に踏み荒らされ、8割の人口が奪われた。
エレンを討伐したアルミン達パラディ島の裏切り者達は島の外の世界に英雄として受け入れられる。
数年後、パラディ島のエルディア人達は外の世界からの反撃を恐れ、エレンを崇拝し続け、軍国主義化していることをアルミン達は知る。
パラディ島へ和平交渉に向かうアルミンは船の中で仲間に言う。
「信じてはもらえないかもしれないけど、知りたいとは思うはずだ。さんざん殺しあったぼくたちが、どうして一緒に居られるのかを。その全てを伝えよう」
わたしが考えたこと:
アルミンがエレンを止めたことに何の意味があったのか。外の人達が二割生き残ったことで起きる問題の方が大きいのではないか。
これについてはしばらく考えたが
「虐殺を止めたことで虐殺を肯定しない世界が残された」のだと思う。それは島の外の世界が残るために起きる問題などとは比べ物にならないくらい価値のあるものなのだ。(そうあって欲しい、そうしていかなければならない)ということなのだと思う。
そう考えると最終話、虐殺を行うエレンを受け入れるアルミンの描写は友情の表現であっても「ありがとう」ではないべきではなかったか。抱きしめて「ばかやろう」の方が適切な気がする。とはいえ些細な問題だ。
『進撃の巨人』物凄い作品だった。
一番心に残っているセリフは
恋人を殺した少年兵を殺そうとしたコックのニコロが、その後、恋人の家族に諭され、泥沼の殺し合いの中で少年兵を助けたり助けられたりしながら、「どうしたらいいの?」と尋ねられた時の言葉。
「森から出るんだ。
出られなくても、出ようとし続けるんだ」
(ニコロは恋人の家族に諌められている。
恋人の父親は言った。
「娘は小さい頃狩人だった。狩人として生きる時代は終わるので森の外で暮らさせたが、そこも人と人が殺し合う森の中だった。娘が殺されたのは森の中で彷徨ってしまったからだ。だからせめてこども達はこの森から出してやらんといかん。そうしなければ同じところをぐるぐる回るだけだ」