ファインディング・ドリーを見てきたのだ

映画『ファインディング・ドリー』を見てきたのだ。

 

前作の時点で、「過去にとらわれて未来に怯えるマーリン」と対照的なキャクタとして配置された「今を生きる(記憶障害なので今を生きるしかない)ドリー」の物語が語られるということもあり、期待と不安は半々だった。(まともに作ったら、とんでもない暗い映画になるはずなのだし、雑に逃げた作品なら見てもしょうがないものになる)

 

結果、開始5分で目がぐしゃぐしゃに泣いてしまった。ピクサーに逃げる意思がないことが分かり、安心して物語に没入できた。

 

「過剰なアクションとスペクタクル!」

「ご都合主義!」

「万能過ぎる仲間!」

など、リアリティラインは前作の『ファインディングニモ』と大きく異なっている。きっとそうした批判があるのではと思う。(まだ他人のレビューを見ていません)

映画を見ると、自分編集版(ここ要らなかったな、もっとこここうすれば、みたいなの)を頭の中で考えるものだと思うが、そこで考えたどのバージョンよりも、映画版の方が笑顔で映画館を出ていく人が多いだろうと思えた。

 

とはいえ、その自分編集版(ご都合主義とスペクタクル抜き版)に勇気づけられるメッセージが残ってないわけでもなく。むしろその些細な希望の途方もなさに、他のすべての欠点はどうでもいいと言える作品でした。

素晴らしい

5億点!

 

昔、成人の時にライオン刈りをする部族の話を読んだことを思い出した。三人一組のチームを作るそうで、チームメンバーは1.知恵のある者、2.力のある者、3.輪を乱す者の三人で組ませるのだと聞いた。なんかそれだと成功率が高いらしい、という文章で、その時のわたしは「何が役に立つかわからないね」という理解でしばらく過ごした。

そして時は流れ、たまたまお酒の席でその話を友人にし、友人が「輪を乱すってことは、そいつは勇気の人ってことだな」ということを聞いてようやく納得がいったのだ。

輪が乱れる理由は、「実力以上のことをやろうとするから」であり「考える前にやっちゃうから」なのだ。

 

まだしばらく、時間があくとドリーのことを考えてしまう。

いい映画だった。

まだ自分編集版は終わってない。