87.第212回コバルト短編小説新人賞に落ちたのであーる。

 

第212回コバルト短編小説新人賞に落ちたのであーる。

 

 わたしはシュミで小説を書き、賞にちまちまと応募するということをやっているのだが、このたび落選となったのである。

 落選した作品はカクヨムにて公開することにした。以前書いたものに加筆修正したものなので、途中までは読んだことがある人もいるかも知れない。

 

 まぁそれはともかく、負けたので反省会をしようじゃないかと思うのだ。

 

 

わたしの作品『続きの物語』のリンク

https://kakuyomu.jp/my/works/16816452220730280085

 

受賞者や最終選考作品のリンク

https://cobalt.shueisha.co.jp/write/newface-award/no212/

 

 賞のページには「もう一歩」の作品というのもあり、ここにもわたしの作品は入っていない。言わば言い訳のしようもない負け方なのである。

 他の人の小説はともかく、わたしの小説は思考を書いたものなのだ。

 なので、そもそも思考が受け入れられなかったのか、伝える力が拙いと判断されたのか、いずれにしてもコバルトの基準では発表する価値がないと判断されたのである。うーむ悔しい。

 

 そこでわたしは考える。

 自分より上に行った作品がこうして目の前にある以上、どこが自分の作品より優れているのかを言語化することは、自分の傷口を抉ることになるとは言え、有用な学びがあるのではないかと思うのだ。

 また、このブログを読む読者の方にも、傷を抉る姿は一定の面白さがあるのではないかと思うのである。

 他人の七転八倒って面白いじゃないですか。

 というわけで前書きが長くなったがはじめることとしよう。

 

 

『君と、碧梧桐』の感想

 これは気恥ずかしい! 

 こういう「温めすぎてしまった恋心」っていいよね! 他人事だとすごく見てて楽しい。文化系男子のある種の理想のような付き合いと理想の嫉妬と理想の結末が描けてると思う。(理想の結末までついてくることは大変稀なので、そういう奇跡を描きたかったのだろうなと予想。)

碧梧桐を知らなかったので、そこにややハードルはあるのだが、「自分の知らないことを知らないまま読んで、徐々にわかってくる」という読み方で充分楽しめた。

 恋のこういうところ書くのはいいよなー。相手の見た目についてごちゃごちゃ書いてないのも個人的にはすごくいい。

 「こういう話が読みたい」というニーズにバッチリ応えてると思う。

 

 選評見ると碧梧桐の説明について、どう出すべきかというテクニカルな指摘が中心。これについては1万文字程度だし、説明不足でも、読むヤツは読むよなぁという感じ。

 わたしは「受賞作だから読んだ」という最低な理由なので参考になる要素はゼロなのだが。

 編集者は読み易さを検討するのが仕事だからなーと思いつつ、読者にストレスがかかる文章を嫌いすぎではあるまいか。

 でも授業で碧梧桐の授業やっちゃう案とかはまぁ無しかな。わかりづらいシーンで読むのをやめる読者も、物語のための説明パートで読むのをやめる読者も、どっちも存在する、という立場をわたしは取るのだ。

 

 

 

スカイ・ハイ』の感想

「何かにひたむきに打ち込んでいた主人公がとあるきっかけでイップスになったけど、色々あって治る話」

だった。

 何万回も読んだような話。

こういう話で描かれる

「スポーツや音楽が、自分をスーパーグッドにする手段なのだ。社会のしがらみとかが関係ない自由がそこにはあるのだ」

 って部分にはものすごい欺瞞を感じるのだ。

 そういう話って何でみんなトップクラスの話ばっかりするの? 側から見てクッソヘタなヤツでもさっきのスーパーグッドの話は成立するじゃん。必要なのは上昇感、成長してる感じなのよ。でもその辺りがわかってないからトップクラスのやつの話しちゃう。

 でも「イップスになった人が立ち直る話を読みたい」というニーズには応えられてるのかなぁ。

 うーんでもこれに負けたのかぁ。悔しいな。

 

 


 

『彼女の裳裾は濡れている』の感想

 「ワケアリっぽい女の人に声かけたら怪異を見たのである」という話。

 綺麗な文体の怪談、と言いたいところなんだけど、「晴れの日に番傘をさしてる女の人を見て、気になって顔を見たら美人だった」って行動は下品すぎると思う。

 

「綺麗な文体で描かれたあんまり怖くない怪談が読みたい』というニーズはあるので、そういうところに応えてるんだと思う。

 

 選評については「京都民にとって100年前はついさっき」みたいなベタなマウントを100歳以下の人が言うという地獄のような会議。

 言いたいことが言えない空気が醸成されているのか。きっと飲み会で「泡の出る麦茶」とか言うんだろうな。

「ベタも大事だよベタも。だってみんな共感が欲しいから。読者に寄り添って、作者の機嫌も損ねず、スケジュールの期限もバッチリ守る。それが私たちの仕事です。わたしって正しいこと言ってるでしょ? 多くの人が正しいと思うこと言ってるでしょ? 多くの人が正しいと思うことを言ってるってことは正しいことでしょ?そうでしょそうでしょ。怒ったりしないでみんな仲良くしましょうよ」

みたいな想像をしてしまってどーにもキツい。

 

 

 

 

『三色菫と男ぎらい』の感想

 これイチオシ。ネタバレをする前に読んで欲しいのであえてストーリーについてあとでコメントに書くことにする。(感想、みたいなことをこのブログのコメント欄に書きました!)

 

 ここまで描いてもコバルト編集部は受け入れてくれるのだなということで、うーんやっぱりわたしの作品はレギュレーションの外に居るから落ちたのではなく、実力で落ちたのだなーと。

 選評は……うーん、「俺の思うアイドルガチ恋勢エピソード」を入れたがり過ぎてる編集者が居て、それはやだなぁ。

 この作品は、事前に「こういう話が読みたい」というものが想定しにくいので、インパクトが編集部のお眼鏡にかなったのだなと。

 おめでとうございます。

 わたしも諦めずインパクトでやっていきます!

 

 

 


『トワイス』の感想

 これも面白い。

 あっさりとした文体で次々に物語が展開する。

 「読ませたいところだけを書く」というスタイルはわたしと同じなので、これが賞に残ってることは、「わたしの書き方の問題ではないのだな」と思わされてやはりキビシイ。

 配達員とか、ループがうまく閉じないとか「誰が何を望んでこんなことになったの?」とか、物語の設定の中核に当たるところが少々ぎこちないが、まぁ別に短編だし許容範囲でしょう。

 ラストもうまく言えないよい話っぽさがある。

「人生を肯定するには、人生を体験させるしかない」みたいなやり方で、ちょっとどうかなと思うところもあるけど。

 

 

以上。

 

 

全体通しての反省

 こうして比較してみると、わたしの作品はニーズが分かりづらいよなぁ。

「どういう人が読むこと想定してる?」

「この話のテーマは?」

 とかの質問に対する答えが、一言じゃなくクドクドとしたものになっちゃう。

 でも一言で説明できるようだったらわざわざ書かないよなとも思いつつ。

「エンタテイメントは手に取る前に内容が大体わかって、読む前の予想よりちょっと面白いくらいを目指すのが定石で、だからテーマを決めてそこに寄せながら書いていくのが現実的なアプローチなのだ」というアドバイスもわからんわけじゃない。

 


 でもわたしは読者がまだ知らないような感情を呼び起こすために書いているので、知ってるようなテーマに寄せて書いてたらそもそも書く意味ないじゃん、という立場なのだ。

「他の人がやってるくらい上手にぼくもできました!」って言うために書いてたら死にたくなるぜ。

 そういうことを力づくでわからせることができるような作品が書けてないので、負け犬の遠吠えなんだろうけどさ。

 悔しいのう。

 ワオーーン!

 


 反省すべきところを反省しつつ、次を書いていかなきゃな。

 この記事はあとは『三色菫と男ぎらい』の感想をコメントで書いて終わりです。

ありがとうございました。