67.子どもを育てていて葛藤する瞬間について

中学受験に向けて子どもを勉強させているのだが、「どうしてこんなにやらなきゃいけないの?」という問いにはいつもうまく答えられない。

「ほかのやってるヤツに勝てなくなるから」くらいは本当のことなので言えるが、「いい学校に入って人の役に立つ立派な人になりなさい」とは全然思ってないので言えない。(役に立ってレアなスキルだとお金が稼ぎやすいけどそれくらいだよ。とかは言う)

「受験すると学校でソリが合わなかった時に辞めることができるからその一回分の権利を得るためにやるんだよ。あと、学校の校風とかも見て選べるからちょっとだけマシな学校に行ける可能性があるよ」くらいしか言えないのだ。

 

「キミは飽きっぽく気が散りやすい性質があるので、集団行動が必要な仕事につくと不利になったり、いじめにあう可能性さえあるよ。いじめがない世の中を作ってこれなかったことは申し訳ないと思うけど、学力が高いと職業選択の自由が広がるので、マシな選択が出来る可能性が上がる。そのために勉強しよう。でも、勉強以外でお仕事につながるいいアイディアがあったらいつでも教えてくれ。それをやるのに必要なことを調べるのは手伝うし協力は惜しまない」

みたいなことは伝えているつもり。

しかし、3桁同士の掛け算の宿題や、朝寝坊した時に漢字ドリルの宿題をやる時などにグズっている時などには、親がどんな思想を持っているかとかどんな教育方針だとかなどは関係なく、遅刻or宿題ブッチの2択が迫られるのである。

 

こんな「とりあえずこれ」みたいな消極的な選択を続けていて申し訳ないなと本当に思う。思うが、じゃぁどうすればいいのかと考えた結果なのも事実な訳で。

 

たとえば1ヶ月勉強停止して「やりたいこと探し」に明け暮れたりすれば、何かしら踏ん切りついたりするのかな、とかも思うけど我が身を振り返って1ヶ月で大きな決断をした時なんてほとんどないしな、と。

 

ということで特に結論もなく終わる。

何年か後に見直したら何か思うんだろうか。