50.学生の頃インドに行った話を書いてみる

学生の頃インドに行った話を書いてみる。

2002年の2月末から3月半ばにかけてインドに行ったのだ。空港からデリーの街に着いて早々、英語の聞き取りが難しいことに気づく。英語は高校以来だったし、そもそも英語が得意ではなかった。ひとり旅自体が初めてだったため、宿を取るためのお作法などもまったくぶっつけ本番だったのもある。

ドタバタヘロヘロとホテルの交渉を終え、一人で部屋でシャワーを浴びたら流石に心細くなってきたのを覚えている。

ベッドに腰掛けながら自分の状況を整理した。

海外旅行スキルは猿岩石を飛び飛びで見たのと、小説「深夜特急」を読破した程度。装備は現金(日本円)と肩掛けバッグひとつ。バッグの中は替えのTシャツ2枚と空港まで着てきたダウンコートが入っている。なお当たり前だが当時はスマホもないのでGoogleに助けてもらうこともできない。あとはガイドブック「地球の歩き方」を持ってきていた。その頃のわたしはゲーム貴族ではなかったが、攻略本と見ると買ってしまうのである。

地球の歩き方を開きながら、当時わたしはこう考えた。「仲間が必要だ。一緒に笑って冒険していく仲間がわたしには必要だ。しかしインドを旅行している旅行者は熟練者が多く、わたしのようなペーペーを仲間には選んでくれないだろう。足を引っ張りまくるのも気がひける。しかし、熟練ではない旅行者はおそらく仲間と共にインドに来ている。わたしの入り込む余地はないだろう。わたしを仲間に迎えてくれるような運命の仲間など居ない。困ったな」

 

なんかうまい方法ないかなーなどと地球の歩き方を見ていると、「日本人をカモにするボッタクリの旅行会社に注意!」というトピックが目に飛び込んで来た。

「これだ!」ここに行けば熟練じゃない日本人旅行者がいるワケじゃん!

 

とてもありがたいことに記事には旅行会社名もバッチリ書いてあったので、ウッキウキでホテルのボーイに場所を訪ねた。あとは作戦を練るだけである。

プランA:ボッタクリツアーを途中キャンセルさせてお金を守ってあげつつ取り入る。

プランB:ボッタクリツアーを最後までこなしてツアーの中で仲良くなる。

できればプランBは避けたい。

「待ってろよ。運命の仲間!」

と独り言を言ったかどうかは覚えていないが、だいたいそんなつもりで眠ってインドの1日目が過ぎた。

 

2日目はだいたい思い通りになった。運命の仲間とは3日目に会うことがわかった。大学の旅行サークルだとのこと。旅行会社で名簿見せてもらって日本人名5人のサインを確認した。同じページで日付もチェックしたのでウソではないと判断。

ツアーの途中キャンセルの手順やその際に戻って来る代金を根掘り葉掘り聞いて契約。その後ホテルに戻り、ボーイと話して悪い旅行会社に騙された時に駆け込む先のガバメントオフィスを教えてもらう。‥‥改めて文字にするとわたしの不誠実っぷりがすごいな。‥‥。

 

3日目の早朝からジャイプールという街まで車を飛ばして移動。わたし一人と運転手一人。

260kmをひた走った。そして町外れの宿で運命の仲間と合流。

どうやってツアーの途中キャンセルのことを切り出そうかと考えていたが、会うなりお通夜みたいな顔付きで「これはボッタクリツアーで町外れの宿に監禁されてて俺たちはもうダメだ!観光地行くと必ず彼らの息のかかった土産物屋連れて行かれるし、車の運転手の男は隙あらば女性メンバーにセクハラしてくるし!」

ということを言い出したので、プランAを選択。途中キャンセルとガバメントオフィスに泣きつくプランでは後者ということに。(旅行会社に途中キャンセルを伝えたら危険なのでは、と彼らは判断した。この辺わたしはわたしの運転手とは仲良く一緒にご飯食べたり家族のこと聞いたりしてたので危険センサーが鈍っていたのでよかったと思う。)

部屋にあった電話帳でタクシー2台を呼び、皆をタクシーに乗せたのち、旅行会社の人に「このツアーはボッタクリだから以降の予定はキャンセルであり、我らガバメントオフィスに行くので後ほど交渉しようぜ」ということを伝えて出発。

駅前でガバメントオフィスのあるデリーまでのバス切符を購入。このあたり彼らのほうが手馴れていてとても助かった。英語も得意だし。その後バスの時間までゴハン食べようということになり、マクドナルドへ。現地のゴハンがダメなメンバーがいるとのことなので。(なにしに来たんだよ!)

マクドナルドで食事してると旅行会社の人が我らを見つけて交渉して来た。最初はとにかく戻れの一点張りだったが、わたしが途中キャンセルの手続きの説明を受けたことを言うと、ホテルに戻ってキャンセルの手続きをしろという話に。その日が土曜日だったこともあり、デリーに戻って月曜まで待ってガバメントオフィスに行くのはちょっと時間がかかるし面倒だな、と思っていたので渡りに舟であった。でもホテルに戻るのは危ない。マクドナルドには警備員もいたので、マクドナルドで交渉を続けることに。交渉はマクドナルドの閉店時間までかかったが使った実費以外戻って来た。お金が戻るとお通夜モードだったサークルメンバーも元気になってくれて助かった。

ということでデリーには戻らずジャイプールで宿を探してそこからは自由に行動することになった。わたしも仲間を得て万事丸く収まったという話。

その後サークルメンバーと共にアグラ、ベナレスを旅行し、その後彼らはネパールへ(ケンカ別れではない)。わたしはブッダガヤ、カルカッタと旅を続けた。各地で色んなことがあったが、それはまた別の機会に。