48.わたしとスマブラ

今週12/7にスマブラSPが発売されるので自分のスマブラ履歴を書いてみる。

 

高校の頃、Nintendo64本体とセットで借りた中にスマブラが含まれていた。(わたしはサターンを貸したのだ。皆が持っていないハードを持つと学生時代は貸し借りにおいて強者となるのだ)

 

時のオカリナを遊び終え、箸休めのように遊んだのがスマブラだった。最初に選んだファイターはドンキーコング

64版のスマブラはガード硬直が長いことと、ガード中だろうがヒット中だろうが投げが通ることを合わせて、ジャンプ攻撃が触れれば投げが確定するのだ。そしてドンキーの投げは掴んでからの展開が豊富であった。格ゲーの基準で考えていたわたしは「これは弱いわけない!」と思ったものだった。64を貸してくれた友人との戦いはちょい負け越し程度。相手のネスのPKサンダーアタックを無理して追いかけなければ五分五分だったろう。

その後わたしは大学生になり、上京ののちにアーケードゲームで身を持ち崩しかけるのだが、それは別の話。またその頃のゲーム仲間とも箸休めのように64スマブラをはじめたのだ。

最初はドンキーの当て投げが炸裂して快勝だったのだが、友人の操るリンクのブーメランと爆弾の精度が上がることにより、近づくこと自体が困難に。サブキャラとして使っていたフォックスへの乗り換えを余儀なくされたのだった。

その後も友人とスマブラDXで鎬を削り、今度は友人がリンクからシークへとキャラ変え。(フォックスに回転切りが当たらんのだ)

スマブラDXが発売された直後は、ゲームキューブのコントローラがどこにも売って無くなったりと、「何かが起こっている感じ」を味わえたのはゲーム好き冥利に尽きると思っている。

 

その後スマブラXの発売の頃はわたしが働いていたこともあり、友人とは疎遠になっていたので、対戦記録もほとんど無し。対戦環境は整えたが、あまり家を行き来する関係ではなくなっていた。一人で遊ぶスマブラなので、ストーリーモードの「亜空の使者」くらいしか思い出がない。とは言ってもそう悪いものではなく、エンディングでメインテーマの歌詞の和訳が出た時、何について歌われた曲かを理解した時に泣いてしまった。スマブラはたとえコミュニケーションツールにできなかったとしても、膨大な資料のボリュームでゲームの歴史を感じたり、手触りを楽しんだりと、「ゲームファン向けのファンアイテム」として本当に本当に懐が広い。

switchのスマブラSPは音楽プレイヤーとして利用できるモードもあるそうなのでとても楽しみ。

 

スマブラforでは、子どもが育てたamiiboカービィを持参してamiibo限定大会に出たり、電車の中でコツコツとamiiboを育てていた。レベルをあげるとわたしくらいの腕だと一度勝てなくなるので、攻略を考えて倒せるところまで対戦するのが楽しかった。友人が多く集まった時に8人まで一緒に遊べるのも頼もしかった。

 

64スマブラの頃、ゲーム開発者自身がゲームの中身を解説しているスマブラ拳

https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/

この頃からすでに開発者桜井さんの並々ならぬ情熱を感じる。

 

 

スマブラDXの私と友人の戦績。

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ゼルダ、リンクは友人。

サムス、ヨッシーは別の友人。

それ以外は全部わたし。

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プレイ時間は意外と少ない!

スプラトゥーン2なんて990時間もやってるのに!

ゲーセンで遊んだ後、終電付近で帰ってから寝るまでと次の日の昼間に遊んでたからこんなもんか。

永遠のような時間って案外短いんだなと改めて思う。大切にしなければ。

 

というところでとにかく自分語りに終始して今回は終わる。

 

Wii版の対戦記録はこれ。

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for3DS

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forWiiU

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3DSのピーチは9歳児が7歳児の頃、ひたすらCPUを落とした記録なので除外