短編小説 [ReadMe.txt]

ReadMe.txt

 

1
 これは人に読まれることを期待して書かれた文章だ。わたし以外のだれかに、わたしの意図を説明するための文章だ。そのためには、わたしになにが起きたのかを説明する必要があるだろう。あまり時間はとらせないつもりだ。これを読むあなたにも事情はあるだろうが、どうか一度読んでからどうするかを決めて欲しい。

 

2
 目が見えていないのに目が覚めると書くのは奇妙な感覚だが……意識を取り戻したと書くべきか。要するにわたしは眠っていて起きたのだ。音が聞こえる。声はうまく出ない。指は動く。体は少しねじってみると動く。腰から下はよくわからない。そうこうしているうちに看護師が呼んだ医者がやってきたことが音でわかった。驚いたことに同僚もいる。医者と同僚から受けた説明を要約するとこうだ。
 わたしは妻とともに旅行中に立ち寄った街で交通事故に遭った。妻、メアリーはわたしよりも軽傷。今は怪我の治療をしながら、会社と治療費の手続きを行っているとのこと。わたしの体からは無数のチューブが伸びていて、それは様々な機械とつながっている。体に痛みはないが、猛烈に麻酔をかけてるのだと医者から教えられた。確かに色々なところの感覚がにぶい。
 怪我の一覧とおおまかな治療計画について話し終えたところで、話し手は医者から同僚に変わった。生きていて嬉しいという挨拶から、治療費のことに話題は移り、要するに会社としても休暇期間中でしかも海外での事故であることから、出せる治療費には限度があるということに話は進んだ。ある日起きたら知らない病院で、お先真っ暗な現実が待っていたというわけだ。ありがたいことだ。
 だが我が同僚の優秀なところはここからだった。なんと、かつてお蔵入りになったあるプロジェクトにわたしが協力するなら、治療費を捻出できるように根回しを進めていてくれたのだ。わたしが協力の意思を伝えると同僚は(一応言っておくが部下、だ。こういうことを書くとわたしが身分や肩書きにこだわる狭量なやつという印象を与えるかもしれないが、彼とわたしのやりとりを説明する際に、この情報があるとないとでは受け取り方に違いが出るかもしれないと思って説明している)安心した声で「よかった。お役にたてました」と答えた。

 

3
 自己紹介が遅れたが、わたしのことを話そう。わたしは玩具メーカーに勤めている。わたしが作った商品は人気が高く、新商品を発表するときには国内だけでなく海外でもお披露目のプレゼンテーションが開かれるくらいの、いわゆる売れっ子開発者だ。
 わたしが手がけたプロジェクトにはいくつかお蔵入りにしているものもあったが、その中の一つにゴーストというプロジェクトがあった。
ゴーストは会社の上層部からはウケがよかったが、技術上の問題と倫理上の問題から商品化を見送った。今回のわたしの事故を受けて、会社はわたしが死ぬ前にゴーストを完成させようと圧力をかけてきている、というのが 今のわたしを取り巻く状況だ。(同僚の話を真に受けるならばもっと恩情にあふれたもののようだが……実態はどうだか、というところだ)
 次に、ゴーストのことを説明しよう。ゴーストはおしゃべり用の人工知能だ。といっても、今の人工知能に人とのおしゃべりは荷が重い。コンピュータは物事に詳しすぎるし、厳密すぎるし、大事なものとそうでないものとの区別がつかなさすぎる。すぎるすぎると表現したが、色々なものが過剰かゼロかのようなもので、とにかく自然言語の習得は人工知能にはとても難しいのだ。そのためゴーストは、「特定人物にとっての一人の人物を模倣する人工知能」という具合に機能を限定した。つまり今回の例だと、メアリーにとってのわたしだ。メアリーから見て、わたしと見分けのつかない人工知能を作ることが目的になる。幸いというか、皮肉なことに理想的な状況は整っている。
制作過程は簡単に言うとこうだ。メアリーが病室に来る。メアリーにはゴーストのことは伏せられている。ゴーストとわたしはランダムにメアリーと会話する。もしゴーストが失言をすれば、わたしがフォローして取り繕う。メアリーが帰る。わたしはゴーストのチューニングをする。メアリーが病室に来る。以下繰り返し。そしていつしかメアリーはわたしとゴーストの見分けがつかなくなる。それがゴーストの完成。
 倫理的な問題は……メアリーに秘密であること以外は問題ない。だが、全てが終わったあとで借金のためだったと言えば許してもらえるだろうという計算もある。メアリーの怪我の予後観察ということにして、彼女にもセンサーを取り付ける。彼女が感じた違和感をきちんとモニタするためだ。これでメアリー側の準備はオーケー。わたしは事故にあってうまく声が出せない。機械の補助を使ってしゃべることになる。ゴーストの声の違和感は、事故の後遺症としてごまかせる。そのほかの違和感も、事故後の混乱として誤魔化せるだろう。状況としてはこれ以上ないほど整っている。……会社や同僚がこの状況を準備したのではなければ。
 もちろん、これで完成するのは「対メアリー用のわたし」という、非常に限定されたゴーストだ。こんなものは商品にならない。だがゴーストを作る工程は商品になる。コミュニケーションの密度に応じて制作工程をアレンジすれば転用先はいくらでもある。技術デモとしても優秀だ。ゴースト完成後にメアリーはインタビュー漬けにされる可能性があるが、それでも借金よりはマシだろう。
 状況を整理する。わたしは大きな事故に遭って、いくつかの身体の機能を失い、しかも莫大な借金がある。そして借金を返すために最愛の妻メアリーを騙すことになった。
 しかし、それでもやらなければならない。わたしなりに考えた結果、状況を利用して最大の利益を勝ち取るべきだと思った。事故の前と今。今と未来。事故は大きな不運だ。借金もそうだが、これからの治療にも金はかかるだろう。失ったものの大きさはまだ把握しきれない。だからこそ一歩でも多く、幸せに近づく必要がある。突然の不運程度でわたしは負けたくないのだ。わたしには悩んでいる時間はなかった。その日の夕方にはメアリーが病室に来てしまう。わたしに迷いがあれば気づかれるだろう。わたしは決断した。メアリーを騙し、ゴーストを作ることを。 

 

4
 メアリーにもうすぐ会える。受付からの電話を受けて、同僚は出て行った。いかに同僚の根回しがよいとは言え、まだ準備はできていない。今日、ここにいるのはわたしだけだ。ゴーストはなし。
 メアリーが病室に入ってきた。
「あなた、目が覚めたのね!」
「おはようメアリー。まだ目が見えないし、ちょっとそうだな。色々と余計な機械に繋がっているけど、ひとまず目は覚めた」
「よかった。でも、その声……」
「残念なことに怪我の後遺症でね。機械の力を借りてる。でも、ぼくの場合、研究室に過去の音声データが膨大に残っているから、そのうち前の声に近づけることはできると思う。おっと、ハグは注意してくれ。この、左脇腹のチューブがとれたらあぶないそうだ。ぼくは今、麻酔のせいで、チューブが抜けても気づかない。触れるなら……そうだな。ほほに優しく触れてくれると嬉しい。比較的無事な部分だし、圧力も検知しやす……」
言い終わる前に、メアリーぼくに触れてきた。「よかった。またあなたのへらず口が聞けるなんて」
「大げさだよ。それに、ぼくのはへらず口なんかじゃない。伝えなければいけない情報が多いから、どうしても口数が多くなるんだ」
「ふふ」
麻酔で手触りはぼやけていたが、懐かしい暖かさがゆっくりと伝わってきた。
「ありがとう。目覚めてくれて」
「こちらこそ。触れられていて気持ちいいよ」
「わたし、あなたのへらず口を聞いてすごく安心した。今まで心細かったんだなってようやくわかった」
「心配かけたね。これまでの分も取り返して喋らないと」
 その日のことはあとはもう、書かなくてもいいだろう。メアリーはたくさん泣いたし、わたしはみっともなくおろおろした。目覚めてよかった、生きててよかったとお互いに何度も繰り返した。文字で書いて伝えられる情報の交換はこのくらいだ。

 

5
 手筈通り、メアリーが部屋に入ってきた。ゴーストの準備もできている。わたしはドアの方を向く。
「それ、なに? その、耳に挟んでるペンみたいなのは……」メアリーがわたしを見て、怪訝な声を出す。
「これには温度を測るセンサーと、そのセンサーに反応して振動するモーターが組み込まれている。目が見えなくても、人がどの方向にいるかがぼくにはわかるってわけだ。言わばぼくのあらたな目だ」
「あきれた。昨日、そんなもの作ってたの?」
 これだけではない。昨日のうちに助手が三人やってきてゴーストの試作版も動くように調整した。この不恰好なセンサーは機械が増えていることに対する目くらましのようなものだ。
「でも、メアリー……どうしたんだ。随分低いところに座っているが……」
「センサーの故障ね。わたしは目の前の椅子に座っているだけ。そしてあなたはわたしのおなかに向けて話しかけてる」
「……紅茶か何か、暖かいものを飲んですぐにここに来た?」
「チャイニーズヌードルを食べました」
「なるほど。センサーは正常だ。ぼくはものの見え方が変わったんだ。新しいぼくを受け入れてくれ」
「耳にペンを挟むのをやめてくれたら、一緒に街を歩いてもいいけれど……」
「そこは改良予定だ。試作版としてちょうどいい場所が他になかった」
「そういえば声も……」
「あぁ。ぼくのラボからデータを運んできてもらって助手三人が調整してくれた。まだイントネーションに納得いかないところがあるけれど、逐次調整していこう。それと、治療費のことだが、もう安心していい。会社がぼくを雇い続けることに決めた。治療費も返さなくていいそうだ。他にも必要なものがあったらメモを出してくれ」
「すごいわね」
「まだ体はボロボロだけど、頭のほうは冴えてる。ぼくが能ある男で幸運だったよ」
「ふふ」
「あぁ、しかしダメだな。このカメラは。ずっと振動してるのはぼくの設計ミスだから仕方ないが……その……」
「なに?」
「笑っているきみの顔が見えない」
「……そう」
「ごめん。こんなことになって」
「あなたのせいじゃないわ」
「……ほんとに無事だった? どこも怪我してない?」
「わたしも怪我はしたし、骨折もしたわ。まだ左腕はギプスが外れない。前に言った通りよ。なにも聞いてなかったの?」
こういう失言が、ゴーストと共にいると起こる。単純なデータの入れ忘れだ。というわけで、ここがわたしの腕の見せどころだ。
「いや、違うんだ。いや、その、ほら、この前は、再会できて嬉しくて……」
「そうね。生きてさえいれば、あとは些細な問題だものね」
「ぼくのことに関してはその通りだ。でも、きみについてはそうじゃない」
「わたしが能ある女じゃないから?」
「違う。大切だからだ」
「あら、そう」
 ぼくが笑うと、またメアリーは少し泣いた。これまで不安だったこと、生き残ってよかったこと、回復の見込みがあることや元どおりにはならないこと。色々なことがあってそれを乗り越えている最中なのだ。情報は重複するし、順番は前後する。会話とはそういうものだ。意味は言葉ではなく関係性を含めた文脈に宿る。極端な言い方をすれば「ばか。だいきらい。死んじゃえ」が愛を伝える言葉になりうる。これをゴーストに学習させられるだろうか。学習させられたとして、メアリーはゴーストとわたしの区別がつかなくなってしまうのだろうか。そのために作業をしているが、達成した時のことを思うと複雑な気持ちだった。

 

6
 「容量が多すぎるな。これじゃ、3年も経たずにディスクがいっぱいになるぞ」同僚とデータ集計の結果を確認しながら、わたしは言った。一応書いておくが、わたしが先にしゃべった場合はゴーストは喋らない。これまでの会話でも喋り出しに「……」のあるものがゴーストの言葉になる。
「ぼくの場合は金に糸目をつけずにデータを蓄積できるが、商品化したらそうもいかないだろう。データの持ち方を変更したほうがよさそうだ」
「そちらの開発は助手たちに任せましょう。有意な差分が出た瞬間のみ保存するようにしてもいいと思います。あなたはゴーストのチューニングをしてください」
ゴーストが言おうとした言葉のリストをチェックする。自分が言いそうにない言葉だったら自然言語で修正する。修正した言葉を解析し、ゴーストのパラメータがチューニングされる。チューニングしたあとのゴーストで、直前のメアリーの映像と会話させる。会話が噛み合っているように見えるかをチェック。ダメならまたチューニング。以下繰り返し。ひとまずこれがぼくの日々のタスクになる。
「しかし、どう思う? 究極的には忘れる量と記憶する量をバランスしなければ、容量の問題は解決しない。しかし、そんな大量に忘れさせたら不自然さを隠せない。今は検討しなくてもいいかもしれないが、忘れさせるロジックを決めるだけで、専用のチームが必要になりそうだ。方向性としては、頻出するものは忘れない、使用頻度の低いものでも例外的に忘れないものがある、とかだろうが……」
「忘れ方も人格を決めるファクターなんですね。ここは時間をかけて調整が必要だと思います」
「そのことについては、一つ朗報がある」
「なんです?」
「忘れるロジックが必要になるまで3年あるってことだ」
「なるほど。確かにそうですね」
「ぼくが達成するものは、最大限のバックアップと理想的環境の中で、非常に限定されたハードルを越えることだ。甘やかされてるよな、ほんとに」
「それだけの価値があることです。実用化されている人工知能は自動運転、企業のサポートセンター、医療問診のサポートなど、ゴールが決まっていてそこへ導くものだけです。極端なことを言えば、チェックシートと同じ。無数のYesNoチェックを光に等しい速度で随時、確認しているだけのものです。もちろん、これはこれで人間にはできない精度を実現するもので、その価値は素晴らしいものなのですが……ゴーストはそれとは方向性が違います」
「期待に応えられるように頑張るよ。ゴーストに真似させなきゃいけないやつが、もともと偏屈なやつだから大変だけど」
 同僚は笑った。そう。期待がかかっている。
 上層部からの期待は大きかったが、被験者が見つからずに諦めたプロジェクトだった。仮に、わたしの事故に誰かの意図があったとしても十分納得がいくぐらいの期待。……同僚にもセンサーをつけてもらったほうがよいだろうか。そのための言い訳を考えなければ……

 

7
 ある日のことだ。わたしはなるべくゴーストに会話を任せようとしていた。
「昨日はよくねむれた?」
 メアリーが言う。
「……まぁまぁだね。寝ようと思って30分くらいで眠ったと思う。おそらく薬のせいだろう。いくらでも眠れる気がする」
「またちょっと薬の量が増えてるものね」
「……あぁ、主治医も色々考えてくれてるが、まだこのたくさんのチューブを外すのは無理そうだ」
「うん。まだ起きたばかりなんだし、焦ることない。きっとリハビリを始めたら驚くわ。太ももなんかすっかり細くなってるもの」
「……考えたんだが、この機械を全部車に詰めて退院するのってどうかな。きみはホテルに帰る。ぼくは駐車場で一夜を過ごす。話をしたければ電話をする。消灯時間も怖い看護師さんもなしだ」
 わたしはゴーストの喋った内容に驚いていた。このままゴーストの会話を見守ろうと思った。
「それは素敵ね」
「……車をふくめてぼくの身体だと考えるんだ。つまり、車が皮膚、この機械が内臓とね」
「なるほど。ものの見え方がまた変わったわけね」
「……確か、トランスフォーマーは金属生命体だった。あぁ、つまり、子ども向けのアニメのトランスフォーマーのことなんだけど……車がロボットに変形するヒーローが出てくるやつだ。で、トランスフォーマーはロボットだけど生き物なんだ。悪役もそう」
「それじゃ、子どもの頃に憧れた存在になれたってわけ?」
「……いや、事実はそれほどドラマチックじゃない。つまり……ぼくは別にトランスフォーマーのことは好きでもなんでもなかった。だから、特に嬉しくはないんだが……」
「あなたって本当にしょうもないことを言うわね」
「……そうかな」
「でもありがとう。安心した。気持ちまで落ち込んでたらよくないものね」
「うん」
 わたしは驚いていた。最後のうん以外の言葉はすべてゴーストが喋ったことだ。わたしが言いそうな冗談を、わたしより先に言っている。冗談の発想の元ネタはわかった。ゴーストの話題と語彙を増やすため、わたしが会社内で利用したブラウザの検索履歴を使ったのだ。発想の元ネタは2016年に人工心臓をリュックに詰めたまま一年以上生活してその後心臓移植を受けた男のニュースと、合体変形ロボットのサンプルを山ほど見ていた時の記録の合成だろう。確かにわたしが言いそうな冗談だ。

 

8
「たとえば、幸いにもこの技術が発展したとしてだ。こういうケースも考えておかなければならない」わたしは同僚に声をかける。気分がハイになっているのを感じる。
「子どものオモリとして、ゴーストを使っている夫婦がいるとしよう。この場合のゴーストは、最初は人の真似だが、子どもの兄弟として子どもとともに成長していく鏡のようなものだ。ところがある日、子どもが不幸な事故に遭い、死んでしまう。残されたゴーストの運用方法は二つある。一つはこれまで通り、死んだ子どもの兄弟として運用する。もう一つが膨大な蓄積データを元に、子どもの代わりとして運用することだ。おそらく、子どものマネをさせたらそのゴースト以上にうまくできるものは地球上に存在しないだろう。ゴーストに子どもと同じ名前をつけ、これまでと同じように生活する。年月をかけるうちに、子どもとの思い出とゴーストとの思い出の境界はあいまいになっていく。喪失の悲しみを和らげることにも成功するだろう。だが……あいまいな言い方になってしまって申し訳ないが……どことなく不道徳な気がする。どうしてだと思う?」
「法律上は問題ありません。もちろん子どもの社会との接点、たとえば学校などでは問題が起きると思いますが……家の中では問題は起きないでしょう」
同僚は答えた。
「その通りだ。だからこれは死者との関係性についてのマナーのようなものだ」
「あなたの口からマナーという言葉が出るとは思っていませんでした」
「あぁ、それを言われると返す言葉もないんだが……ぼくは礼儀知らずだし、傲慢だった。こんなぼくだって過去を振り返ると恥ずかしくて身悶えする時が、ないわけではないんだ」
「なるほど」
「話を続けていいか? 子どもが死んだって親は生きる。ずっと悲しんでばかりいるわけにもいかないだろう。子育てばかりが人生でもないさ。趣味に生きてもいいし、生活することの中に喜びもあるだろう。次の子どもができるかもしれないし、養子って選択肢だってある。死んだ子どもが幼児だったら?高校生だったら? 中年だったら? それぞれの状況によってとれる選択は違うだろう。これまでだったら、悲しみは喪失と共に生活のすぐそばでいつでも寄り添っているものだった。だがゴーストがあると喪失がキレイに埋められてしまう……。個々の事情の中に、ゴーストが強く介入しすぎてしまわないかは、考えていかなければならないと思う」
「亡くなった方の思い出の手紙や品物などは、残された者にとって特別な意味を持ったりしますね」
「そうだ。 そして手紙や写真、思い出と最も違うのは、ゴーストがインタラクティブであることだ。反応を返し、成長もする。悲しみをまぎらわせるのには、これ以上最適のものはないだろう。ゴーストが普及すれば、ある意味では当人にとっての死は存在するが、当人以外にとっての死は存在しなくなるのかもしれない。テクノロジーがイノベーションを起こした結果なのかもしれないが、それはとても不道徳な方に社会を進ませているようにも感じる」
「あなたの答えはどうなんですか?」
「うーん。……ここまで話して申し訳ないんだが、これはぼくの問題じゃない。ぼくはメアリーにとってのぼくを、ゴーストで作り上げる。それで会社から借りた金をチャラにする。体の不便を補うための色々なものや気分を良くする贅沢品を山ほど請求して、それもタダにする。あとは退職金をたんまりもらって、それでおしまい。でも、会社に残るきみは考えたほうがいい。この商品が巻き起こす事態は、おもしろいおもちゃに対する苦情なんかでは済まないかもしれない。だからぼくの立場は『警告はしたからな!』と言いながら人を破滅に導く兵器を開発してしまう、映画に出てくるステロタイプで愚かな科学者のようなものだ。ポリシーがないという批判は甘んじて受けよう。でも、ぼくには他に選択肢はないんだ」
「あなたの事故については、残念に思います。わたしも、もっと一緒に仕事をしていたかった」
「そいつはどうも。ぼくもきみと仕事ができてよかった。ただ、この体では無理も多い。痛いところもいっぱいあるし、薬もいっぱい必要なんだ。悪いけど、先にリタイアさせてもらうよ」
「お疲れ様でした」
「まだまだ調整は残ってる。油断してメアリーに気づかれて、実験自体が中止になる可能性だってあるさ。お別れは全部終わってからにしよう」

 

9
 とても残念な報告があった。
 主治医が申し訳なさそうに語り、同僚が落ち込んだ顔で補足した内容を要約すると、要するにわたしはあと半年から一年程度で死ぬそうだ。死ぬそうだと客観的に書いていることからわかるかもしれないが、あまり実感はない。ただ、質問しないままでいるのも精神衛生上良くないので主治医を質問攻めにして、万策手が尽きていることもわかった。今のわたしは、主治医や専門チームが各種データを読み取って、薬や機械で調整することでやっとのこと生きている。複数の臓器が悪く、複数の原因のどれかがひとつでもしきい値を越えれば、取り返しのつかない変化が起き、わたしは死に至る。すでに複数の解決策が議論されており、それぞれが違った理由で実行できないこともわかっている、ということだ。
 ひとしきり質問を終えると、わたしは同僚と今後の計画変更を相談することにした。
「あと半年と見積もろう」わたしは言った。
「……ゴーストの完成までですか?」同僚がわざと間違えたのはわかった。優しいやつだと思う。
「わたしの残りの寿命だよ。ゴーストのチューニングはまだまだかかる。時間をかけたほうが精度があがるのも間違いない。その上でぼくの寿命をあと半年と見積もって、半年以内にバージョン1をだそう」
 計画はこうだ。
 わたしが死んでもメアリーにはわたしの死を伏せる。伏せた状態で1ヶ月ゴーストと話をさせる。わたしのフォローなしで1ヶ月の間に人工知能であることがバレなければゴーストの完成とする。わたしの姿が直接見えないことについては何らかの説得力ある工作が必要だが、それは病院と協力してできそうだ。無菌室なりなんなり理由をつけて、カメラ越しに話をさせるのだ。
「真相を知ったあとで、メアリーは納得しますかね」同僚が言う。
「納得しないだろうし、許してはもらえないだろう。でも借金は消える。死に目にあえないというよりは、死に目がぼやけるという感じか。そこは申し訳ないな。ビデオレターは用意しよう。手紙も残そう。借金ではなく貯金も残そう」
「最終試験のあとのゴーストについてですが……」
「会社に残す分は当然きみたちが持っていってくれ。できればメアリーにオリジナルを渡して欲しいが、まぁ最新版のコピーならそれでもいい。その後どうするかはメアリーが決めるだろう。ぼくの気持ちを語るのならば、仮にメアリーがゴーストをそばに残すのだったら、ぼくが生きてもいないのにメアリーの残りの人生を縛るようで心苦しくもあるし、少し嬉しいような気持ちもあるし、人工知能に妻をとられたような寂しさもある。複雑だよ。残さないんだったら、怒らせてしまったな申し訳ないなというシンプルな感じさ。ああ、しかし‥‥‥」
「なんです?」
「ショックで言葉もでないな」
 わたしのくだらない冗談に同僚が笑ってくれたのがよかった。笑うしかないではないか。こんなのは。

 

10
 自分の死を事前に知りたいか、と言われたらわたしは知りたいほうだ。いつ死ぬかわかっていれば、後に残らないことの優先順位を下げ、後に残ることの優先順位を上げることができる。仕事の締め切りと同じようなものだ。死ぬことが怖くないわけではないが、その怖さについては通り一遍のことくらいしか思いつかない。気がかりなのは残されるメアリーのことだが……そこはうまく言語化できない。
 残りの期間に急遽、強化テストを組み込むことにした。その手順はこうだ。
 まず、ゴーストのコピーを取る。コピーしたゴーストとわたしで会話を行う。わたしは「おまえは人工知能だろ?」と追及する。ゴーストは弁解する。わたしは追及の手を緩めない。そのうちにゴーストは人工知能であると判断できる情報を漏らす。そこで一旦コピーを止める。会話のパターンを分析し、その流れになる前に話をそらす方法を検討する。検討結果をオリジナルに反映。コピーは削除。オリジナルにはこのトラウマ体験を残さない。以上、例によって繰り返し。
 強化テストを導入したのは、志を低くしたせいだ。本当はこんな小細工で対策をするべきではない。最終試験の1ヶ月の間、なんとかバレなければいい、という発想が根本にはあるので同僚からも眉をひそめられたが、なんとか折れてくれた。
 昨日はゴーストがバレた時のために、ビデオレターを作成しておいた。くだらないバグでメアリーにバレても悲しいので、バグ取りも鋭意行なっている。毎日忙しく働いていた。疲れないと言えば嘘になる。実験を兼ねているとは言え、メアリーとの会話は毎日の癒しになっている。もちろん、ゴーストのことがバレないように注意していたし、ヒヤリとする瞬間もないわけではなかったが。
「最近の仕事なんだが、ある装置の人工知能について行き詰まっていて……」
 メアリーとの会話が途切れた時、ついわたしは口に出していた。単に仕事の苦労のことを簡単に話す程度の軽い気持ちだった。メアリーは話を逸らした。わたしは驚き、またその話を振った。メアリーは別の話を始めた。メアリーの言葉が頭を素通りしていく。一つの疑念が瞬く間に頭に広がり、足元が崩れ去るような恐怖がやってきた。呼吸が苦しくなる。考えがまとまらない。疑念の先を想像することを恐怖が拒んでいる。どれくらい時間が経っただろうか。やがてその疑念を否定できる根拠が何一つないことに観念すると、わたしは受け入れがたい事実を受け入れた。
 ここにいるのはメアリーではない。

 

11
 同僚と話し、わたしに伏せられていた事実を聞きだした。
 わたしは事故から3年も眠っていた。事故の後すぐにメアリーは目を覚まし、そして彼女は自分の残りの命がそう長くないことを知った。わたしが目覚めるのを隣のベッドで待ちながら、わたしにずっと話しかけていたそうだ。そんなメアリーを見かねて、同僚は研究室に残されていた試作品とわたしのデータから、わたしのゴーストを作った。もちろん不完全なものだったが、いくばくかの慰めにはなっただろう。メアリーは喜び、そしてしばらく考えて自分のゴーストを残したいと言い出したそうだ。
「ごめんなさい」ビデオレターの中でメアリーが言う。声でメアリーが泣いていることはわかった。
「もし順番が逆だったらと考えたの。わたしが目覚めた時にあなたがすでに死んでいたら、と。わたしだったら耐えられない。生きる意志なんか根こそぎ奪われてしまう。でも、騙してごめんなさい」
 怒ってなどいなかった。こんなことをした理由についても、予想はついていた。
「あなただったらなんと言うのか……『悪くない。おはようございます。奥様は残念ながら亡くなりました。これがビデオレターです。なんてのに比べたら、ずっと思いやりに溢れてる』とでも言うのかしらね」
 わたしは思い出す。出会った頃のこと、同じ家で住み始めた頃のこと、結婚してからのこと。
「どうだった? わたしのゴーストは。苦労したのよ。割と自信はあったんだけど…このメッセージを見てるってことは、気付いちゃったのね」
 わたしは思い出す。意識が戻り、最初にメアリーと話した時のこと。あれはゴーストだ。メアリーではなかった。メアリーが死ぬ前に残してくれたゴーストだ。
「勝手な話だけど、このメッセージを見てるってことには嬉しい気持ちもあるの。ゴーストからじゃなく、わたしからのお別れが届いたってことだから。ゴーストにあなたを任せることは自分で決めたことだけど、それでも複雑な気持ちが残っていたのも確かだから」
 メアリーはもういない。彼女の真似をする人工知能だけが残されている。そしてわたしは愚かにも、メアリーの残してくれたかけがえのない嘘を見破ってしまった。
「あなたが心配だわ。かわいそうに。ひとりで生きていけそう?」
 映像の中のメアリーが泣きながら笑い、わたしもつられて笑った。
 しばらく泣いた後で、この声を聞けてよかった、とわたしは思った。この悲しさもメアリーが最後に残しておいてくれたものなのだ。それを愛そうとわたしは思った。

 

12
 わたしは死に瀕している。体を起こすこともできず、病院のベッドから抜け出すこともできない。わたしは暗闇の中でゴースト達の会話を見守る。わたし達夫婦そのもののような会話。全てを知ってしまった以上、わたしは彼らと共に、特にメアリーのゴーストと共にいることはできない。同僚と相談し、二つのオリジナルは同じサーバで保管してもらうことにした。無理を言ったが、無理を聞いてもらえるくらいにはわたしも貢献したと思いたい。サーバの電源は多重に確保したし、サーバ自体も多重化してある。わたしが死んだ後もゴースト達はただ、会話を続けるだろう。
 わたしは最後の仕事として、このReadMeファイルを書いている。これを読むあなたが、データ管理部の人間なのか、わたしの遺品整理の業者なのかはわからない。あなたに見返りをあげることもできそうにないので、本当にただお願いすることしかできないが、どうかお願いだ。このサーバを止めないで欲しい。二人のゴーストを止めないで欲しい。ゴースト達はなにか生産的なものを生み出すわけでもない。ただお互いを思いやって慈しみあい、会話を重ねる。冗談を言って笑い、遠い外国のニュースを見て悲しみ、どこかへ遊びに行く約束をする。昔読んだ本の感想を話したり、取り立てて珍しくもない思い出を語りあったりする。それが何かの役に立つわけでもない。誰かの悲しみを癒すわけでもない。誰かを笑顔にするわけでもない。でもお願いだ。わたしとは違った生を生きる彼らをどうか消さないで欲しい。彼らが千の万の言葉を交わすことは何の役にも立たないかもしれない。取るに足らないくだらないものだ。だが、わたしの命の最後に、くだらないものを残そうとわたしはきめたのだ。どうか、その意を汲んではくれないだろうか。

 

ログファイルNo.10231
「なに? このマグカップ」
「学校の記念品ね。卒業式でもらったの」
「こんな、何の変哲もないマグカップを? 卒業年度も書いてないよ。学校のロゴしか書いてない」
「記念品というより、学校の備品を記念品に詰めたって感じよね。でも、わたしはシンプルで気に入ってるわ」
「いや、まぁ、悪いものじゃないんだろうけど……ほら、これを拾ったのが無人島だった場合、超嬉しいよ」
無人島でだったらそりゃ嬉しいわよ。液体が運べて、漏れないってことだけで相当な価値あるわ」
「これを無人島でもらえるんだったら、超並ぶね。朝から並んでもいい」
「待って待って。誰が並んでるの? 無人島でしょ」
「はっはっは」
「ふふふ」

 

ログファイルNo.1077414
「そういえばだれも信じてくれないが、ぼくは小さい頃とてもかわいい子どもだったんだ。小学校に入学したばかりの頃、わざわざぼくを見るために上級生が列を成して教室にやってきたのを覚えてる」
「それ、正気を疑われるから誰にも言わないほうがいいわよ。何かの間違いじゃなくて?」

「うん。ぼくだってそう思う。しかし、そういった事実がなかったとしたら、こんな記憶を持つだろうか。勘違いするにしても、そのためのファクトが足りないと思う」

「なるほど」

「一応、かわいいにも色々あって、その、美少年として見られていたのではなく、子どもとして、つまり、動物を見てかわいいと言うのと同じ意味でかわいいと言われていたのではないかというのが、今まで考えてきた結論なんだけど、どう思う?」

「そんなことをどのくらい考えてきたの?」

「これは結婚前から言おうか言うまいか何度か悩んでいたので、考えている時間は100時間を超えていると思う。まずはあたりさわりのない人間関係で言ってみて、信じてもらえず、そして今回ついに意を決して打ち明けたわけです」

「あ、そう」

「まぁ、信じてもらえなくても別にどうだってよいのですけどね」

「うん、まぁ、うん。あ、そう」

「まぁ、意を決しただけの成果はあったよ」

「そうね」

 

ログファイルNo.2000018
「メアリーさん、エアロバイクが家に欲しいのですよ」
「あらそう。 でもスペースの問題がね‥‥」
「スペースについては考えてあって、折りたためばカーテンの裏にしまえるのです」
「うーん……」
「知っての通りぼくはジムでエアロバイクくらいしかやらない。ジムについたら携帯ゲームで遊びながらエアロバイク。以上。それだけ。もはやジムではなくエアロバイクの駐輪場に通ってるようなものさ」
「運動する気あるの? 他にそんな人いる?」
「まぁそれは……ぼくが先駆的な存在だよね」
「先駆的な存在」
「すでに値段は調べてあってエアロバイクの値段はジム会費3ヶ月分。すぐに元も取れるってわけだ」
「なるほど」
「それにジムに行くために着替えなくてもいい。思いたったらすぐ始められる。ジムより絶対長続きするよ。そしてここからがすごいところなんだが……」
「なに?」
「なんと据置ゲーム機で遊べるんですよ。だって家だから! あ! やめろ! そんなアホを見るような目で見ないでくれ!」
「……わかった。買っていいよ。その代わり1ヶ月以上使わなかったら捨てるからね」
「ありがとう 愛してる」